2020年08月10日

長崎の原爆記念日

  8月9日は、長崎の原爆記念日。当院のスタッフのIさんは、小倉の生まれ。Iさんから天候不良で原爆投下を免れたという話が出たので改めてウィキペディアで調べてみた。
 当初投下対象の都市として東京、大阪、京都を初めとしていくつかの都市が検討されたが、原爆の威力を試す目的でまだ空爆による被害のない広島、長崎、小倉、新潟が残り、既に8月6日に広島には投下されていた。8月9日同じくテニアン島を友軍5機と共に出発したB29ボックスカーは、残り3都市の中で最も米軍にとって爆撃条件の揃った小倉を標的としていたが、視界不良などの理由から変更され、第二目標であった長崎に投下され7万人以上が犠牲になった。
 視界不良の理由が雲ではなく、霞か煙だという。これは、前日米軍が近くの八幡市に行った空襲の残煙とか、八幡製鉄所の従業員が察知してコールタールの煙幕を張ったからといわれる。9時40分に小倉に着いたものの投下目標の確認が出来ず爆撃航程を3回試みたが不成功で45分を費やした。この間に燃料の余裕が亡くなり更に異常が発生し予備燃料に切り替えざるを得なかった。そして、日本軍の高射砲による攻撃や戦闘機が急発進し的たことも確認され、10時30分に小倉上空を離脱。目標を変更して長崎に向かった。更に小倉到着以前ではあったが、途中連絡トラブルからB29ボックスカーは友軍機とニアミスを起こしていたが、空中衝突は免れていた。
 10時50分頃長崎上空に達したが、積雲に覆われて標的が見えなかった。目視爆撃が出来ない時には太平洋に原爆投棄することになっていたが、命令違反のレーダー爆撃に踏み切ろうとした瞬間、雲の切れ間から眼下に長崎市街が覗けてしまった。この瞬間を逃さずに10時58分投下、11時2分に炸裂した。目標変更からわずか30分後のことであった。ただただ長崎の被爆者の方々には残酷非道極まりない不条理となってしまった。ボックスカーは燃料がわずかになり、帰路は沖縄に急遽緊急着陸。残りの燃料はほんのごくわずかであったという。
 近視眼的に見れば様々な場面で紙一重のところで状況が違っていれば、運命も違っていたのではと思わずにはいられない。広島に投下された時点で意図は読み取られ標的にされる都市は分かっていたので対抗措置が出来れば長崎の投下は避けられたのではないか或いは被害を軽減できたのではないかとも思う。しかし、もっと早く降伏していれば長崎も広島もなかった。敗戦は既に明白であったので更にもっと早く降伏していれば、いや戦争など無謀であることなど初めから分かっていたのだからやめておけば良かったということになるのだが。
 Iさんは、ひょっとしてこの世にいなかったかもしれない。『・・・・・だったら、・・・・・であれば、○○という不幸にならなかったのに。』というタラレバは個人レベルで『事故や病気がなかったら、○○という不幸にならなかったのに。』に当てはまることがないようにと思っていたが、今や予想もしなかった『コロナや災害がなかったら、○○という不幸にならなかったのに。』が最小限に止まって」くれることを願うばかりである。

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本日の平和の象徴スココ、
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寝てるか、食べてるか、ぐうたらしているか
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 とにかく好きなことしかしない
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 とにかく、美味しい食べ物があって、安心して寝られる寝床があって、構って遊んでくれれば最高。人間は更にゆっくりと風呂には入れれば最高。
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posted by すここ at 20:18| Comment(0) | 日記
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