2020年07月23日

20年以上前のこと

 このところ以前に先週、大学病院時代にお世話になった大先輩のK先生が、体調を崩され集中治療室に入院後無事退院。しかし、ご高齢のこともあり、施設に入所されたとお知らせをいただいた。20数年前、K先生は既に開業されていたが、オーストラリアで開催の体外受精のセミナーに同席させていただいたことがある。終了式で各国の参加者の中から代表で突然のスピーチの指名を受け流暢な英語でユーモアを交えて挨拶され、高名な先生だったのかと驚かされた。
 更にここから思い出されたことがある。話は変わるが、このセミナーの1週間前は、先輩の二人の先生に連れられてシドニー大学の関連病院、ロイヤルノースショア病院の体外受精と研究施設を見学した。当時はまだ、日本でも体外受精での妊娠成功例のある施設は数えるほどで当大学病院も一例のみであった。患者さんでも体外受精をオーストラリアで受けることを希望されて出国された方もいた。このため勉強する機会をいただいたので緊張もしたが、わくわくしながらどんなに活気のあるところだろうと思っての訪問であった。しかし、予想に反してこの病院は、日本の忙しなさと違ってとても閑静な環境、歴史のありそうな建築でありとてもゆったりしていた。病院の中には教会があって、見ていると患者さんがお祈りにきて精神的な支えとなっているとうかがった。医師がネクタイ姿で胚移植する姿、全身麻酔でも日帰り可能、一日7−8件も採卵を行っていること、採卵は各個人クリニックの患者と医師がやって来ていること、培養室を明るくしているので日本だと暗くして行うというと『おまえはパラノイアだ』と言われたこと、当時日本では培養士の存在はなく体外受精は準備から精子・卵子・媒精・胚培養・移植などすべて医師が行っていたが、既に採卵の器具・培養・精子などの細分化・専門化が進んでいて研究室がそれぞれすでに存在していたこと、朝7時に来て17時にはスタッフはみんな帰ってしまうこと、にもかかわらず立派な研究論文が幾多と出ていること、ボスであるダグラスサンダース教授には秘書がいつも2名ついて雑用をすべてやってくれることなど皆合理的にシステムが構築されていて、淡々と物事が進み、細部にとらわれることなく、とにかく裕とりがあって伸び伸びとしていて感心することがとても多かった。コピーの機械のみ我々の方が高性能であった。
 日本では、朝8時すぎから夜は21時など当たり前、大学に予算が足りないので薬の治験で研究費稼ぎ、秘書を雇う予算がたりないので雑用は自分たちで行わざるを得ず、研究費獲得のための書類の多さには閉口していた。この頃、日本はバブルに突き進んでいてお金はあったが、研究にはお寒い限りでバックアップ体制がなく、各個人の努力に委ねられ、そういう意味で日本は本当はとても貧しい国なのではないかと考えざるを得なかった。何だか日本に帰りたくない気にもなったが、あっという間に別世界の2週間は過ぎてしまい帰国。その後やはりこの状況はあまり改善されることはなく、研究費や教育費はますます削減され、最近は、この上に働き方改革、コロナまで出現、そして人口減少に伴う人材不足とあまり明るい材料はないが・・・・・、などとぶつくさ言っている前に現実にはやることが手いっぱい、先ずは明日を無駄にしないように早く寝ること。
 相変わらずよい気のスココ
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 やはり相変わらずよい気に見える蛙たち、まだ増えそう。オクラの葉っぱがお気に入り
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 ブラックベリーの実。黒くなって力を入れなくてももげると食べ頃。時々つまみ食いをしているが酸っぱい。
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posted by すここ at 22:11| Comment(0) | 日記
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