2020年06月28日

思い出した名古屋

 確か5月の終わりに愛知県の大村知事の発言に大阪の吉村知事が反論という記事が載っていた。これについてテレビで『名古屋は、大阪の繁栄の元を築いたのは尾張出身の秀吉という自負があるが、今は名古屋は大阪に後塵を拝していることが多く優越劣等感が混在している』という地域性を取り上げた人がいた。
 そういえば名古屋は個性的なところで初めて瑞穂通を車で50−60キロで走ったら後続車があっという間に近づきパッシングをやられたことを先ず思いだした。名古屋市内での常識的走行は4車線なら必ず中央車線を取り、早いと70−80キロ以上のスピードの流れに乗って、信号での右折車の列はサイドとバックミラーを一瞥して左から素早く車線変更、黄色信号は速度を上げて走り過ぎ、赤信号に変わったばかりならば必ず突っ込まないと追突される危険がある。そもそも『なごや』の発音は、我々は『な』にアクセントがくるが、地元では『な』は弱めで『ご』と『や』は後ろ上がりの読み方をする。東海随一という言い方が得意で以前名古屋駅前には大名古屋ビルヂングという看板のビルがあった。百貨店は名古屋の松坂屋が最高で東京、京都の伊勢丹や高島屋に大丸はランクが下。『めいだい』といえば名古屋大、関東や静岡では明治大をイメージ。東海地方というと、静岡は当然入ると思っていたら、愛知、岐阜、三重だけで全く眼中にない。考えたら名鉄は、静岡には来ないし名古屋の文化圏よりは東京に顔が向いている。感動したのは、中央車線でエンストしたら近くのガソリンスタンドのおじさんが一生懸命車を押しに来てくれたり、タクシーに忘れ物をしたら届けに来てくれたり、免許の書き換えで明らかに近視であったが、安物の少し穴のあいた学生時代からのジャンパーを着ていたので眼鏡を買うお金がないだろうからと同情してくれて免許証が眼鏡なしになったこともあった。今は駅前は生まれ変わり、気質も変わってきているかもしれないが、あまりストレスは感じない良きところでした。まだありますが、長くなりそうなのでまた後日の機会に。
 写真は散歩中見上げた近所の2階、手を振ったが反応なし
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posted by すここ at 00:47| Comment(0) | 日記
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